「セッション」 音楽の9割は根性で出来ている!
こんな方におススメ!
- 演奏技術の壁にぶち当たっている
- 教育とは何かを考えている
- マゾ
はじめに
かつて映像の学校に通っていたとき、「映像から緊張感を出すこと」の重要さを教えられました。あれから20年、「緊張間感のあるシーン」はいくつか記憶にあるものの、「緊張感しかない映画」が存在するとは。それが、「セッション」です。
観終わった後に、血圧が低下してしばらく立ち上がれなくなり、放心状態に。家で観ていて良かった、とつくづく思いました。公開当時、失神した人はいなかったのだろうか……。4DXで再現されたら、半端なホラーよりよほど恐いです。
見所1.師弟関係以外ほぼ無し
映画の構成がシンプルで、軸がぶれていません。主要キャストは生徒(ニーマン)と鬼教師(フレッチャー)。父親や彼女、ライバルは出てくるものの、描き方は最小限。セリフも少なく、ただ映像でみせる!
冒頭から容赦ないです。ニーマンの演奏を少し聴いてあっさり部屋から出て行ってしまうフレッチャーの、感情の入る余地の無さっぷりが、これからの師弟関係の行く末ばかりか、この映画のスタイルをも印象付けます。
見所2.泣くほど恐い
鬼教師フレッチャーの鬼指導が、この映画の見せ所ですが、中でも印象的なのはフレッチャーの楽団に加入して初練習に参加するシーン。雑談しながら入ってくる上級生たちが、フレッチャーが教室に入ってきた瞬間に空気が張り詰める! まさに自分がその中に入り込んでいるように、4DXはついに空気の緊張感も伝えられるようになったぞ(自宅だけど)、とおもうほど伝わってきます。
問い詰められ泣き出す生徒もいて、自分も一緒に涙ぐんでしまうぐらい本気で恐い……。本物を目指すってこういうことか、と随所にある鬼指導にしびれます。
見所3.完璧なラスト
最高のラストシーン。まさかの仕打ちで心が砕けてステージを去るニーマンの、まさか返しのリベンジ! 完全にぶちのめされたはずなのに、戻ってきたぞこいつ! という驚きからの収束。
この映画は、感情の入る余地を極限までそぎ落としていますが、リベンジショーに入る前に、打ちのめされたニーマンを父親が抱擁する、というワンクッション入れたのが秀逸です。
そのワンクッションがあればこそ、ニーマンがステージに戻るのも違和感なく、フレッチャーと対決する構図も出来上がります。
さらにこの映画が素晴らしいのは、主人公が鬼教師に一泡ふかせて終わりではないところ。初期は一方的に指導を受ける立場、そして最終ステージで自分をぶつけ、最後にはフレッチャーと二人で「創り上げる」というプロセスを描ききっています。
ラストカットはそのステージ(あるいは天才)を創り上げる一音で終わりますが、これ以上のカットは何も必要ないという、必然的なラストカットで、まさに完璧。
ちなみに、この最終ステージで、手持ちカメラが左右に触れて主人公と鬼教師を交互に追うカットが続きますが、被写体を追いきれないカットが一つ入ります。通常なら絶対にありえない撮り方ですが、これを入れることで、「今とんでもないことが起きている!」という観手の心をも代弁してしまいます。この撮影が確信であってもアドリブであっても、凄いです。
おススメ度…100%だが
良い映画のお手本のような要素が詰まりまくりな一本。でも、かつて鬼教師の鬼指導でトラウマを負ったことのある方は、確実に傷口が開くので、観ない方が良いです。
「セッション」(2014年、アメリカ)